タイのバオバブ農園に行ってきました。
タイのバオバブ農園に行ってきました。
同行してもらったのは、長年の気の置けない友人たち。車の運転、タイ語の通訳もしてもらえて助かりました。そして楽しかったです。
16年前に創業。面積は1600m2、年間2百万本生産しているそうです。
種はインド、マダガスカルなどから調達し、6種のバオバブを育成しています。
今度、第2農園をミャンマーとの国境のTak Provinceにオープンする予定だそうです。
バオバブの特性について(Mr. Chainから説明していただきました。感謝):
・接ぎ木が容易で成長が早い。
・輸送のため、上部の葉の部分を全部カットして根から土を取り除いた状態で1か月もつ。
・苗木は実生から2-3か月で山出し可能。
・植え付け後1年間は水やりをするが、その後は不要。
・タイでは、1年に1度、乾期に葉を全部落とす。
・成長したバオバブの幹を切り取るとそこ。から枝が生えてくる。切り取ったところに枝を接木することも可能。接木が容易であるため、四分割して接合するような盆栽アート作品も生産している
・幹に傷をつけるとそこからも葉が生えてくる。
・伐採して倒しておいたバオバブの下部の断面から根が出てきて土に定着し、上部から枝葉が上方に伸びていく。
・葉を採取しやすいように仕立てることも可能。
・創業当時に植林したバオバブは胸高直径50センチを超える大木となっている。
バオバブは、幹でも光合成しているなど、厳しい環境に生き抜く様々な特性を身につけているんですね。アフリカより土壌や水分条件のより良いタイの環境にも適応し、あおあおとイキイキ成長しているバオバブたちに会えてとてもうれしかったです。
その逞しさに、アフリカを感じます。。
アフリカに戻りました。バオバブはかく語りき、復活しまーす!
ご無沙汰しております。
2016-2018年、ドイツに赴任しておりました。
その後も転々としており、その間のブログは「バオバブはかく語りき2」
少しだけ投稿しました。
アンデスに立つ | バオバブはかく語りき 2 (ameblo.jp)
闇夜の暁の寺 | バオバブはかく語りき 2 (ameblo.jp)
アイスランドの包容力 | バオバブはかく語りき 2 (ameblo.jp)
真冬のアウシュビッツ | バオバブはかく語りき 2 (ameblo.jp)
ドイツ西端トゥーリアの青い空 | バオバブはかく語りき 2 (ameblo.jp)
インドネシア・スカルノ大統領の直筆の碑文が彫られた石碑がある青松寺 | バオバブはかく語りき 2 (ameblo.jp)
2022年4月からケニアに赴任しました。
バオバブとの縁がまたはじまります。
写真は、ケニア東部の町、キブエジに立つバオバブの木たちです。
3-5月は雨期なのですが、一度しか雨が降らず、まるで乾期のバオバブのように
葉っぱがありません・・・旱魃が心配されています。
これから投稿再開したいと思いますので、よろしくお願いいたします。
海に向かって咲く紫の花
今日、週末の買い出しの帰り道、海岸道路を車で走っていたら、紫色の何かが海岸の砂の地面に落ちているように見えました。
そのまま通り過ぎようとしたのですが、「なんだろう???」どうしても気になって、1kmほど走ってから、思い直して引き返しました。
よく見たら、紫色の花でした。
名前は調べ中です。
葉はナスに似ていますが、花は、とても変わっています。
パッと見ると、ハンカチを丸めて落としたみたいな感じ。(失礼;)
ヒトの握りこぶし大ほどの大きさです。
今日は朝から風が吹いていて波が少し立っていました。
ふきとばそうとしてくる風にあらがうように、海に向かって花を広げ、たった一輪、凛と咲いている。。。
美しいな、と思いました。
昔、静岡の山で仕事をしていた時、私にとってその山で迎える初めての秋。
冷たい空気に思わず首を縮めて車を走らせていたら、林道脇にすっと立って並ぶ青紫。
リンドウの、そのあまりの気高さ、美しさに言葉を失ったことを思い出しました。藍よりも青い、宇宙色の青。
もともと寒さは苦手だったのですが、リンドウに会いに行くのが楽しみで仕事に張り合いができました。
海岸に一輪咲く紫の花。どうか誰にも手折られませんように。。
また、会いに行きます。
空から見た海
この写真は、モザンビーク中部の街、ビランクロからマプートに向かう飛行機から撮影しました。
手前の緑は陸地、その奥にひろがる、海の中に砂地が見えます。
遠浅なので、引き潮の時はこんなふうにどこまでもどこまでも歩いて行けるようになります。
この海は、モザンビークに2つある海中国立公園のうちの一つ、ジュゴンの棲む海として知られているバザルートの近くです。
1991年、日本の漁船がモザンビーク沖で、生きた化石と言われる魚、シーラカンスを釣り上げたそうです。日本とモザンビークの間で所有権が争われたそうですが、今はモザンビークの自然史博物館にはく製になって展示されています。
1.2メートルほどもある大きな体。隣にあるライオンのはく製にもひけをとらない迫力で、きっと海で一対一で遭遇したら、きれいだけど、とても怖いかもしれない、と思います。
もし、シーラカンスが生きていて、言葉を話せたら?人間が誕生するはるか以前の中生代の海はどんなだったのか、世代から世代へ語り継いでいる物語を教えてくれるかもしれません。
ゴロンゴーザ国立公園
先日、出張でゴロンゴーザ国立公園に行ってきました。
モザンビーク中部に位置するソファラ州のちょうど真ん中のあたりに位置し、面積は東京都の約2倍、4千平方キロメートルに及びます。
山岳地、湿地、谷、川といった複雑な地形のため、多様な動植物が生態系を構成しています。
この地域は、1920年にポルトガル植民地政府により、ハンティングのための保護区となりました。その後、1964年に始まった独立戦争、引き続く内戦、、、ソファラ州は、激戦区の一つでした。1992年に終結するまで、人々は生き延びるため、動物を食料として利用したり、販売して命をつないできました。
平和が戻ってから、モザンビーク政府によって改めて国立公園として指定されました。
現在、復興プロジェクトが実施されています。
カバの数:
1972年ー3000頭、1994年ー0頭、2007年ー160頭
アフリカン・バッファローの数:
1972年ー14000頭、1994年ー0頭、2007年ー185頭
シマウマの数:
1972年ー3000頭、1994年ー65頭、2007年ー5頭
ゼロになった動物が、なぜ増えているか、というと、周辺から良い環境を求めて動物が自らやってきて増えていくケースもありますが、南アフリカ共和国などの保護区から輸入されてきて増やされていっているものもあります。
私たちがゴロンゴーザ国立公園に到着し、ゲートからキャンピングサイトに行くまでの、森に囲まれた16キロメートルのダートの沿道で、たくさんのバブーン(ヒヒ)やイボイノシシに遭遇しました。
これを見て、「ライオンやヒョウなどの肉食の野生動物が増えていると思う。」と、私のモザンビーク人の仕事のパートナー(カウンターパート)は喜びました。なぜかと問うと、「バブーンやイノシシが人間が通る道にたくさん出てきているというのは、森の内部には彼らを捕食する動物がたくさんいるので、人通りの多いところの方が守られるから。それから、イノシシの子供の数を数えると、みな1、2頭しか連れていない。通常5−6頭生むのに、それだけ減っているということは捕食されているということではないか。」と話してくれました。
リスボンで。
モザンビークから唯一、直行便で行けるヨーロッパの都市はポルトガルの首都、リスボンです。
1498年、ポルトガル人のバスコ・ダ・ガマがモザンビークに到達、16世紀初頭からポルトガルによる植民地化がはじまり、独立戦争ののちに1975年6月25日に独立を果たすまでの500年近くもの間、モザンビークを支配してきた国。
今も、深い関係にあります。
片道10時間の夜行便を降りると、滑走路の脇の陽だまりには、まぶしい朝の光に照らされて、黄、紫、ピンク、、、色とりどりの春の花が咲き乱れていました。冬に向かって少しづつ涼しくなっている南半球のマプートと正反対です。
リスボンは坂の多い街。サンジョージ城はその高台にあり、リスボンの街、港、川を一望できます。
お城の城壁の中に、クジャクがたくさんいました。
ちょうど、季節なのでしょうか。オスが大きな羽を広げて、求愛のダンスをしているところに巡り合いました。
モザンビークの私のアパートの周りにも、向かいの大統領の家からたくさんクジャクが散歩に出てきます。アパートは3階なのですが、窓から10メートルの高木の梢にとまっていたりして目が合ったり、ばさばさと飛び立つ姿を見てずいぶん驚かされました。
中には白いクジャクもいます。半年後、南半球の春になって、大きな羽を広げてダンスをする姿を見るのが楽しみです。